2017年11月17日
『聖書を読む人』観察記(有楽町線)
今日の朝、仕事に行くため護国寺で有楽町線に飛び乗ると、軽く人々に揉まれ、流れに運ばれ、調度僕の目の前に背の低い中年男性の肩が来て、その奥に、握られた聖書が見えた。
おお。
ヨハネの福音書12章の後半あたりをこの中年男性は、黙々と読んでいる。
年の頃は50代後半といったところ。少しあたまの後ろが禿げている。別に聖人のようではないし、キラキラ光ってもいない。どちらかと言えば、周りのみんなと同じように、あるいはそれ以上にちょっと疲れた雰囲気のおじさん。
右腕を伸ばし、つり革に指を引っ掛け、その下にミノムシのように自分の体を引っ掛けて、頭をスッと聖書の方に落としたきり、吸い込まれるように読み耽っている。
ヨハネ12章といえば、まさにイエスが十字架に向かって歩みだそうとエルサレムに入場するあたり。
それにしても、読むペースが随分早い。
ガリガリ、ブルドーザーで削るように読み進めている。
つり革につかまったままページを片手で捲ろうとする彼は、手にあまるのか、自分の口を聖書に押し当ててページを捲る。その姿は、聖書にチュッと口付けしている感じに図らずもなっているのだが、もちろん彼にそんな気はないし、当たり前だがロマンチックな雰囲気は微塵も漂わない。そう、なりふりを気にしている場合ではないのだ。
ただただ、彼は聖書を読む。
握っている聖書は、英語と日本語が対訳になっているやつで、ボロボロになっている。紙もビラビラで中表紙のあたりなんてコケが生えているようにも見える。
あんまり大切には扱っていないが、読み込んではいる。そんな感じだ。
「クリスチャンですか?
僕もクリスチャンです。」
なんてことを喋りかけようか?と最初のうちは考えていたけれど、彼を観察しているうちに、なんというか、そういう思いは消えた。
彼と聖書で、今は一つの世界を形成しているようだ。
彼の着ている黒のスーツの襟元には、零した食べ物のシミが付いていて、スーツも少しシワになっている。あんまり細かいことに頓着するタイプではないのだろう。
江戸川橋で多めに人が乗り込んできて、入り口付近の通路のちょうど真ん中にいる彼は、ちょっとばかり人々の邪魔になっているのだが、そんなことに彼が気がつくわけもなかった。
聖書の中では、キリストが弟子たちに、「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と語っている。
電車に乗り込んできた若い男がおじさんにぶつかったので、おじさんは目を上げ、ギロリと睨みつけ、また、すぐに聖書に目を落とす。ラッシュアワーなので、おじさんのそんな様子を僕は止まる駅ごとに降りたり乗ったりを繰り返しながら、観察していた。
が、市ヶ谷でおじさんの姿を見失ってしまう。
あ、いなくなっちゃった。
僕の兄弟はどこへ行ってしまったのだろう?
などと思って、目を泳がせていたら、開いた扉の向こう、市ヶ谷駅ホームの柱の陰でおじさんは背を丸めて、聖書を読み続けていた。
もう、乗り換えもそっちのけになっているようだった。
おじさん、ユードンストップ。
おじさんの目は聖書から離れない。他には、何も見えていないみたいに。
その眼差しの奥で、キリストが十字架への歩みを続けている。
僕の列車はそのまま走りだしたが、おじさんの真剣な眼差しとその後ろ姿がなんとなく1日中、心の中に響いていた。
今日の朝、仕事に行くため護国寺で有楽町線に飛び乗ると、軽く人々に揉まれ、流れに運ばれ、調度僕の目の前に背の低い中年男性の肩が来て、その奥に、握られた聖書が見えた。
おお。
ヨハネの福音書12章の後半あたりをこの中年男性は、黙々と読んでいる。
年の頃は50代後半といったところ。少しあたまの後ろが禿げている。別に聖人のようではないし、キラキラ光ってもいない。どちらかと言えば、周りのみんなと同じように、あるいはそれ以上にちょっと疲れた雰囲気のおじさん。
右腕を伸ばし、つり革に指を引っ掛け、その下にミノムシのように自分の体を引っ掛けて、頭をスッと聖書の方に落としたきり、吸い込まれるように読み耽っている。
ヨハネ12章といえば、まさにイエスが十字架に向かって歩みだそうとエルサレムに入場するあたり。
それにしても、読むペースが随分早い。
ガリガリ、ブルドーザーで削るように読み進めている。
つり革につかまったままページを片手で捲ろうとする彼は、手にあまるのか、自分の口を聖書に押し当ててページを捲る。その姿は、聖書にチュッと口付けしている感じに図らずもなっているのだが、もちろん彼にそんな気はないし、当たり前だがロマンチックな雰囲気は微塵も漂わない。そう、なりふりを気にしている場合ではないのだ。
ただただ、彼は聖書を読む。
握っている聖書は、英語と日本語が対訳になっているやつで、ボロボロになっている。紙もビラビラで中表紙のあたりなんてコケが生えているようにも見える。
あんまり大切には扱っていないが、読み込んではいる。そんな感じだ。
「クリスチャンですか?
僕もクリスチャンです。」
なんてことを喋りかけようか?と最初のうちは考えていたけれど、彼を観察しているうちに、なんというか、そういう思いは消えた。
彼と聖書で、今は一つの世界を形成しているようだ。
彼の着ている黒のスーツの襟元には、零した食べ物のシミが付いていて、スーツも少しシワになっている。あんまり細かいことに頓着するタイプではないのだろう。
江戸川橋で多めに人が乗り込んできて、入り口付近の通路のちょうど真ん中にいる彼は、ちょっとばかり人々の邪魔になっているのだが、そんなことに彼が気がつくわけもなかった。
聖書の中では、キリストが弟子たちに、「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と語っている。
電車に乗り込んできた若い男がおじさんにぶつかったので、おじさんは目を上げ、ギロリと睨みつけ、また、すぐに聖書に目を落とす。ラッシュアワーなので、おじさんのそんな様子を僕は止まる駅ごとに降りたり乗ったりを繰り返しながら、観察していた。
が、市ヶ谷でおじさんの姿を見失ってしまう。
あ、いなくなっちゃった。
僕の兄弟はどこへ行ってしまったのだろう?
などと思って、目を泳がせていたら、開いた扉の向こう、市ヶ谷駅ホームの柱の陰でおじさんは背を丸めて、聖書を読み続けていた。
もう、乗り換えもそっちのけになっているようだった。
おじさん、ユードンストップ。
おじさんの目は聖書から離れない。他には、何も見えていないみたいに。
その眼差しの奥で、キリストが十字架への歩みを続けている。
僕の列車はそのまま走りだしたが、おじさんの真剣な眼差しとその後ろ姿がなんとなく1日中、心の中に響いていた。